その他のエッセー

村田育也(北海道教育大学旭川校)

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「学校は必要ですか?」

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 私は約10年間の社会人経験を経て,大学院に入学して教育工学を勉強しています.社会人経験のうち,8年間は中学と高校の教員でした.
 大学院修士課程で直接指導していただいた蛯名先生は物理学の先生です.それと同時に,他の自然科学や情報工学や教育の分野にも研究の手を広げる多才な研究者でもあります.しかも,すばらしい教育者でもあります.先生は学生と議論するとき,自分の結論をもっていても,すぐにそれを言ってしまうことはありません.論点を押さえた質問をして学生に考えさせたり,答を見つけられそうな書物や論文を渡したりして,後は学生自身の判断に任せるという接し方をされます.
 蛯名先生と2人で,教育の未来について議論していたときのことです.先生が,
「学校は必要ですか?」と質問されました.
「えっ」
学校の教員だった私には,学校はあって当然の存在でしたから,そんなことを考えたことはありませんでした.
「必要でしょう」と,とっさに答えますと,
「どうして?」と次の質問が飛んできました.
そのとき,私がどう答えたのか忘れてしまいましたが,子ども同士の出会いの場として必要だというようなことを言ったような気がします.その答には自分自身納得がいきませんでしたので,しばらくの間,先生の質問が頭から離れませんでした.
 その後,先生に紹介された本が,イリイチの「脱学校の社会」でした.大量生産,大量消費に支えられた産業社会の中で生れた学校には,工場で同じ作業を黙々と続ける人たち,大量消費をする同じ好みをもった人たちを大量生産する役割がありました.これからは個性が尊重され,あらゆる情報が広く共有される「脱学校の社会」になるというものです.今はやりのインターネットは,このイリイチの思想に触発されたアメリカの人たちが作り始めたものです.
 蛯名先生にはその他にも多くの書物を紹介してもらったり貸していただいたりしました.それらの書物から興味が広がり,トフラーの「第3の波」を読みました.第1の波は農業革命,第2の波は産業革命,第3の波は今起こっている革命です.家庭,学校,職場,政治,経済などで起こっている問題を,第3の波の到来を歓迎する人たちと第2の波を守ろうとする人たちとの衝突として説明しています.それらの問題を,社会システムが崩壊に向かう前兆ではなく,新しい社会システムを生み出す産みの苦しみとしてとらえています.私は,教員のときに経験した年輩教員との衝突や生徒たちとの衝突を思い出し,これらをトフラーの考え方に当てはめてみました.すると,教育に対する今までの違和感,自分が抱えていた矛盾の理由が見えてきて,自分自身を第2の波から抜け出せない部分と第3の波を歓迎している部分に冷静に分けることができました.違和感と矛盾が氷解し,学校教育にとらわれることなく,理想の教育を考えることができるようになりました.
 「脱学校の社会」と「第3の波」は,私にとって教育を根本的に考え直す原点となった書物です.しかし,それ以上に,蛯名先生の質問「学校は必要ですか?」は私にとって大きな意味がありました.先生は,私が理想の教育に歩き出すことを妨げていた心の中の鎖を見抜き,この一言でその鎖が何であるかを私に気付かせてしまったわけです.そして,紹介された書物の中に,その鎖を解く方法が書いてあったというわけです.こうして,私は私自身を脱学校化し,私が目指す理想の教育が第3の波の向こうにあることを自覚することができました.蛯名先生の「学校は必要ですか?」は,私にとってすべての始まりでした.

「明石不登校を考える会 第7号」1999.5

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教育は平等であるべきか?

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 ある人が「教育は平等でなければならない」と言ったとき、皆さんはこの主張に賛成しますか?それとも反対しますか?私はこれだけでは態度を決めることができません.態度を決めるには,その人が「教育」をどういう意味で使ったかを知る必要があるからです.教育内容なのか,教育方法なのか,教育の機会なのか...
 教育基本法第三条に教育の機会均等についての記述があります.「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであって、・・・」私も「教育を受ける機会は平等でなければならない」と信じていますので,この法律の内容は当然のことだと思います(差別的なニュアンスが少し気になりますが).ですから,教育が「教育の機会」を意味するものならば,先の主張には賛成です.
 しかし,「教育」が教育内容や教育方法を意味するものであるなら,この主張には反対です.教育の内容と方法を「平等」の名の元に同じにしてしまうと.個人を尊重し(日本国憲法第一三条),一人一人の個性をかけがえのないものとして尊重する(中央教育審議会答申)ことが教育の場で実現できなくなると考えるからです.
 日本の学校教育は,同じ学年の子どもを1つの教室に入れて,同じ教育方法で同じ教育内容を受けさせています.それは,あたかも同じ学年の子どもたちは同じ興味・関心と同じ適性・能力をもっていて,すべての子どもたちのために共通の理想の教育が一つだけあると決めつけているように見えます.これでは,子ども個人を尊重し,子ども一人一人の個性をかけがえのないものとして尊重することはできません.
 子どもが一人一人異なる興味・関心をもち,異なる適性・能力をもっていることを認めれば,教育内容の得手不得手や教育方法が合う合わないの個人差があって当然だと考えることができます.ペーパーテストをすれば成績に散らばりができるのは当然です.それを成績が悪いのは怠けているからだと考えたり,みんな同じ成績になるように指導すべきだと考えたりするのは,子どもに無用な負担を与えるだけです.
 すべての子どもたちに同じ(=唯一理想の)教育方法で同じ(=唯一理想の)教育内容を与えて,同じ(=唯一理想の)学力を身につけさせることを目標にした教育の幻想は,早く忘れてしまわねばなりません.このような「教育の悪しき平等主義」は,子どもの個人差(個性)を消し去ろうとします.そのうえ,同じ(=唯一理想の)評価にさらされた結果,自分を過大評価する少数のエリートと自分を過小評価する多数の凡人を作り出してしまいます.
 必要なことは,子どもの個人差(個性)に合うだけの多様な教育方法と多様な教育内容です.そして,それらを実現する多様な教育の場です.教育の場は,少なくても現在の社会に存在する職業と同じくらい多様であるべきだと思います.そして,多様な教育の場を選択する自由がなければなりません.多様な教育の場があってそれらを選択する自由が保証されて初めて,教育の機会の平等が実現するのだと私は考えています.

「明石不登校を考える会 第11号」1999.9

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墓地で育つ子どもたち

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 須磨のニュータウンで悲惨な小学生の殺傷事件があってから2年になります.当時,テレビで放映される事件現場付近の空からの映像を見て,一つ感じたことがあります.それは,きれいに並んだニュータウンの家並みが,墓地のように見えたことです.もちろん,悲しい事件が頭にあったために,そのような連想をしたということはあるでしょう.しかし,今冷静になって思い起こしても,その印象を消すことができません.
 子どもが育っていく生活環境として,ニュータウンに欠けているものは何かと考えることがあります.ニュータウンは,家を建てやすいようにほぼ正方形の宅地が整然と並び,その間を同じ幅の道が格子状に通っています.土地に無駄がなく合理的にできています.何も欠けているものなどないように見えますが,この町並みは空から見るとまるで墓地のようです.
 これに対して,古くからある町並みは,広い道狭い道があって,道も曲がりくねっていたりします.家の敷地もいろんな形があり,どうしても利用できない空き地があったりします.あちらこちらの土地に無駄があって非合理的です.でも,私はこのような町並みの方が懐かしい匂いと人間くささを感じて,愛着を感じます.きっと,子どものときに,成長とともに自分の家から少しずつ遠くに行けるようになり,その都度新しい町並みの景色に出会った感動の記憶や,夏に自分たちの背丈よりずっと高くなった草ぼうぼうの空き地を探険した記憶が,そう感じさせるのだと思います.
 今の都会の子どもたちは,このような体験が果たしてどのくらいできるでしょうか?特にニュータウンの子どもたちが見るのは,どこに行ってもほとんど同じ家並みの景色です.うっかりすると,自分の家の前の道すらどれだったかわからなくなってしまいます.草ぼうぼうの空き地など見当たりません.ニュータウンの所々に公園が作られていますが,それらも無駄がなく,見通しが良く,新しい景色を発見したり探険したりできるような場所ではありません.
 公園を清潔で見通しよくするのは,子どもにおこる事故や犯罪を防止する意味があり,それは非常に重要なことに違いありません.しかし,それを過度に進めることで,子どもの生活環境を大きく変化させてしまっているように思います.あまりに合理的で無駄のなさすぎる生活環境は,没個性的で人間くささが感じられません.そこに住んでいる人たちの息づかいが感じられるような「個性」が,町並みになくなってしまっているような気がします.そんな環境で育つ子どもたちが,自分の個性を外に出す方法がわからず,不器用に「みんな一緒」の中で苦しんでいると考えるのは考え過ぎでしょうか?
 私が墓地のように感じたニュータウンの家並みが,子どもたちにどのような影響があるのかを,はっきりと言うことはできません.しかし,古くからある町並みが持っている「個性」は非常に乏しいことは確かです.そのために,そこで成長する子どもたちが,自分たちを包み込んでくれるような安心感と町並みに対する愛着を持つことができずにいるような気がします.その影響が,いろんな形となって子どもたちに最近現れているような気がしてなりません.

「こどびーつうしん No.2」1999.5

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教育者としての野村監督

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

「先入観は罪,固定観念は悪なんですよ」
これは,新庄選手に投手としての練習をさせている理由を,あるアナウンサーから質問されたときの阪神タイガース野村克也監督の言葉です.各選手の適性や可能性を判断するときに,先入観(新庄は野手だ)をもって見てはいけないし,固定観念(野手は投手に転向できない)に縛られてもいけないということでしょう.この言葉を聞いて,私は野村監督のファンになりました.
 プロ野球選手は,プロなのだから各自で自分の適性と可能性を見抜き,自分の能力を最大限に発揮するべきだ.監督はそれを評価し,試合において各選手を適材適所に配置することが役割なのだ.これは正論ですし,実際そういうやり方をしているような監督もいます.しかし,これでは選手を育てるという考えがありません.先入観も固定観念も捨てて選手を見て,誰も(本人さえも)気付いていない適性や可能性を見抜いて助言することができれば,固定観念をもつ普通の人が驚くような選手の可能性が花開くことがあります.野村監督が再生工場と評価されているのは,普通の人が見捨てた選手の可能性を先入観も固定観念も持たずに見ることができるからでしょう.
 「結果より過程」も,野村監督の口癖です.結果を第一に求められるプロの世界で,結果より過程をもって選手を見るというのはどういうことでしょうか.どんな好判断で思い切ったプレイをしても,ちょっとした展開のあやで失敗することがあります.そんなときに,おまえが悪いと非難されたらどうでしょう.その選手は,次から失敗をしないような無難なプレイをするようになります.これでは,その選手の成長は望めませんし,どの選手も無難なプレイをするようになってチームから活気が消えていくでしょう.野村監督の場合,たとえ失敗しても,そのプレイの根拠を説明できればOKです.もちろん,その根拠がでたらめでは話になりませんが,理にかなったものであれば,次には成功してチームに貢献するでしょう.もし,その根拠に誤りがあれば,失敗の原因を分析して次からやり方を変えることができます.この場合,その選手は学習したことになります.根拠のないプレイは,たとえうまくいってもその場かぎりで,それによって選手が成長することはありません.
 あともう一つ気付いたことは,「おだて上手」ということです.あるアナウンサーが野村監督にマイクを向けて「あのときの新庄選手のプレイは超ファインプレイでしたね」と言ったところ,「彼にとっては,あれは当たり前なんですよ」と静かに答えました.この巧みな「おだて」にはまいりました.これだけ実力を認めてくれている監督の元で,選手のやる気が出ないはずはありません.昨年まではバントも盗塁も嫌がっていた新庄選手が,今年は実に自然にやってのけます.投球練習も嬉々としてやっていたそうです.さしずめ「おまえの肩は投手でも一流やぞ.ちょっと投げてみるか?」というような言葉で,その気にさせてしまったのでしょう.
 このように考えると,野村監督はすばらしい教育者だといえます.先入観をもたず固定観念に縛られることなく選手の秘められた適性と可能性を見抜き,おだてて選手をその気にさせ,失敗してもプレイの過程を評価して選手の成長過程を気長に見守る.名監督の条件はすばらしい教育者であることかもしれません.
 最下位に低迷していた阪神タイガースが,今年は快進撃を続けています.6月になって選手たちに少し疲れが見えますが,それでも首位争いを続けています(注).良き教育者を得て,選手たちが 1点を取り1点を守るために失敗を恐れず大胆に,自分の判断で思い切ってプレイしているからだと思います.教育者としての野村監督の手腕に,これからも注目です.
(注)ご存知の通り,この後ずるずると後退し,結局この年も最下位でペナントレースを終えました.期待し過ぎると駄目になる.これも教育と通じるものがありそう!?

「こどびーつうしん No.3」1999.7

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親の役割・子の役割

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 西澤哲氏の著書「子どものトラウマ」(講談社現代新書)に,親子関係についての示唆に富む記述がありましたので,それを紹介します.
 次のような2人の親AとBがいました.この2人の親に異なることと同じことは何でしょうか.
 Aは,妻の連れ子である5歳の男の子を,「こそこそして,なつかない」と嫌い,風呂で冷水を浴びせ失神すると熱湯をかけてやけどをさせたり,3階のベランダから逆さづりにしたりした.最後には,浴槽に正座させ冷水を入れながら顔を殴打して死なせてしまった.
 Bは,自分が子どもの頃算数で苦労したことから,就学前の娘に早期教育の教材を買い与え,九九の暗記を強いた.Bが熱心になるほど娘は嫌がり,泣き叫ぶ娘をたたきながら勉強させるうち,入院するほどのけがをさせてしまった.
 もちろん,Aの行為は子どもへの虐待行為で,殺人という犯罪です.では,Bの行為はどうでしょうか.Bの行為は行き過ぎた教育ママの行為だが,子どもを思うあまりに起きてしまった事故のようなもの.手を出している点ではどちらも同じだが,Aのそれは暴力で犯罪なのに対し,Bのそれは愛情から出た行為で犯罪ではない...本当にそうでしょうか.
 Bの行為は虐待のように思えないかもしれませんが,英語でいえば両方とも child abuse です.西澤氏は,abuse を虐待ではなく「乱用」と訳す方が良いとした上で,child abuse は「子どもの存在あるいは子どもとの関係を,親が子どものためにではなく自分のために利用することを意味している」と述べています.
 正常な親子関係の土台には子どもの欲求があります.親が子どもの欲求に対して,それに応えたり制限を加えたりすることが親子関係の基礎になるというのです.このとき,親は「欲求を満たす役割」を担い,子は「欲求を満たされる役割」を担います.ところが,child abuse では親子の役割が逆転しています.親は,子の欲求とは無関係に,親の欲求を子に押し付けている.この意味では,先述の2人の親A,Bは全く同じなのです.
 さて,こう考えると,日本の子どもたちは至る所で child abuse を受けているのではないでしょうか.親の熱意が主導した受験勉強や習い事をさせたり,その子の個性や欲求を無視して「みんな一緒」を強いたり,大人が不登校を直そうとしたりする行為はすべて child abuse だといえます.子どもの人権が議論されるようになってきましたが,まだまだ課題は山積しています.親の役割は「欲求を満たす役割」で,子の役割は「欲求を満たされる役割」.肝に銘じておかねばなりません.

「こどびーつうしん No.4」1999.9

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「たこ焼」家庭訪問

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 その日は,自宅で小論文などの書類を書いていました.それらは,その日のうちに速達で郵送しなければならないものでした.長男(中2)の担任のM先生が家庭訪問に来られると妻から聞いたのは,そんな日の朝でした.楽しい先生だと聞いていたので一度会ってみたいと思ってはいましたが,よりによってこんな忙しい日に...
 長男は私に似て,プライドばかり高く,周囲の様子を伺いながら言動することが苦手です.最近,クラブ活動でのトラブルやいじめにもあっているらしく,時々学校を休んだり遅刻したりするようになっています.家庭訪問では,当然こういったことが話題になるでしょう.時間がたっぷりあるときなら教育論を話し合ってもいいのですが,さすがにその日は憂鬱な気分が先行していました.
 午後4時を少し過ぎた頃,チャイムが鳴りました.居間でパソコンに向かって書類を書いていると,M先生は躊躇なく居間まで入って来られました.どの生徒の家庭訪問でも,家の中まで入り込んで,勧められれば食事も一緒にしながら,話し込んでしまうそうです.
「家庭訪問にはルールがあるんじゃないですか?」と私が尋ねると,次のような返事が返ってきました.
「あるみたいですねえ.玄関より先には上がるなとか,食事はもらうなとか...でも,私は気にしてません」
 これはすごい人だと感心しました.私は8年間教員をしていましたが,学校という組織に次第に埋もれて「先生」然となってしまった苦い経験があります.組織のルールより,自分の教育思想を優先するというのは,辞職を覚悟していなければできないことです.でも,M先生は教職を天職だと考えていて,辞めるつもりは微塵もないということですから,大物です.
「教員が官僚になってしまったら終わりです.官僚はマニュアル通りに動き,前例のないことは受け付けないですから.」私がそういうと,M先生は大きくうなずいておられました.
 同じクラスで不登校のAさんのことが話題になりました.M先生はAさんの自宅にはよく行っておられるそうで,一緒に遊んだり食事をしたりしてこられるそうです.
「最近,不登校の子どもに学校に来させるようにすることが,僕の仕事ではないような気がしているんです」
M先生のこの言葉に,私は「さすがですね」と感嘆の声をあげました.私は,教員のとき,子どもは学校に行くのが当たり前で,不登校は直すべきものだと考えていました.そうでないことに気付いたのは,教員を辞めてしばらくしてからです.学校教育の中で仕事をしている教員にとって,なかなか気付きにくいことです.
 その日の夕食は,たこ焼でした.まだ,話が続いているうちに,妻がたこやき器をテーブルに置き,食事の用意を始めました.一緒に食事をしましょうと誘うと,他の先生との約束があるからと言いながらも,たこ焼を一緒に焼きながら食事に付き合ってくださいました.楽しいたこ焼パーティになりました.
 M先生は32歳,ちょうど私が学校教育に挫折感をもって教員をやめた年齢です.今,私は学校の外から日本の教育を変えていく方法を模索しているわけですが,M先生は学校の中で学校の常識と戦っておられます.M先生のような教員がいる限り,日本の学校教育もまだ立ち直る可能性があるのではないか,そんな気持ちが少ししました.
 「たこ焼」家庭訪問は2時間以上に及びました.その後,パソコンに向かって急いで書類を書き上げましたが,その頃には近くの中央郵便局は閉まっていました.電車に乗って大阪中央郵便局まで書類を出しにいくはめになりましたが,それを埋めて余りある家庭訪問でした.

未発表(1999.5.20執筆)

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そよ風ネットワーク

 北海道に来て1ヶ月が経ちました.慣れない土地と新しい仕事に戸惑いながら,あっという間に過ぎたひと月でした.最近になってようやく,訪れの遅いしかし変化の速い春に驚き,新緑の木々やそこかしこに咲く花々の美しさに目をやる余裕が出てきました.
 さて,旭川に不登校の子と親の会はないだろうかと探しておりましたところ,そよ風ネットワーク(以下,そよ風)という名の親の会がありました.3年前に立ち上がった会ですが,会員数は88人と規模は大きく,同じ大学で幼児教育を専門にされている内島先生が代表をされています.5月13日にその総会と講演会が開かれましたので,その様子を報告したいと思います.
 総会に参加してみて,関西などの都市部とは違う雰囲気に気付きました.それは会の「包容力」といったようなもので,いろんな考えや立場の人が混在していました.
 都市部では親の会を,不登校を「克服」して学校に行かせようとする会と,不登校を認めて子どもの成長を見守ろうとする会に二分することができます.しかし,旭川ではそれらの区別がなく,そよ風だけです.でも全体としては,不登校を認める考えが主流でした.わが子の不登校に戸惑っている親はいましたけれど...
 小学校や大学の教員が参加し,世話人になっているのも,違った雰囲気を感じさせる理由でした.自己紹介のとき,教師(学校)に対して不信感を露わにする親もいませんでした.旭川では不登校の子どもの増加が遅かったため,全国の不登校の事例や不登校を認める考え方に触れることができ,親と教員との衝突も少なく,一緒に子どもを認めようとする動きが早く出てきたのではないかという気がしました.
 総会の後,戸田輝夫先生の講演がありました.戸田先生は,38年間高校の教員として不登校や高校中退の悩みを聞くという経験を通して,同じ思いの親同士が連携して安心することが大切だと感じ,札幌を中心に親の会の援助をされてきた方です.退職された後,北海道大学大学院に入学し教育臨床心理学を専攻され,そのときに書いた修士論文をもとに著書「不登校のわが子と歩む親たちの記録」(高文研)を執筆されました.現在は博士課程に進学されて,なお勉強・研究を続けておられます.
 講演の内容は,著書に書かれた不登校の子とその親の5つの事例をあげながら,親たちの苦悩と努力について話をされました.特に「親が待つこと」の大切さを熱く説明されていました.部屋に閉じこもってトイレにさえ出てこない子どもと母親の関わり合いを話されたときには,涙ぐまれたほどでした.
 私は中学と高校の教員を8年間勤めました.私はたった8年で古典的な教師然と振舞うようになってしまい,それがいやで教員を辞めてしまいました.それなのに,戸田先生は38年間も教員であったのに「教師臭さ」をもっておられませんでした.不思議に思ったので,講演の後そのことを質問してみました.
「子どもたちや親たちの話をいっぱい聞いてきましたから」
 戸田先生の話の内容や話し方から,本当にたくさんの不登校の子と親の話を親身になって聞いてこられたのだろうと感じました.待つことの大切さ.聞くことの大切さ.これらを再認識することのできた講演会でした.

「明石不登校を考える会 第19号」2000.5

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