元教師のざんげ話

村田育也(北海道教育大学旭川校)

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勉強は忍耐か(前編)

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 「勉強は忍耐です.」
 その日,何度この言葉を口にしただろう.その日は三者懇談の日で,私が担任をしている生徒とその保護者が,あらかじめ打ち合わせておいた順序で,次々に教室に入ってくる.
 たいていの保護者は,子どもの勉強の話をする.こちらも成績の資料をどっさり持っているので,その方が話しやすい.そのうちの多くの保護者は,「自分の子はやればできるはずだ.でも,しない」と嘆く.「どうしたら勉強をするようになるか」という話題になることが多い.
 「学問に王道なし」なのは誰しも承知していることなのだが,少しでも自分の子どもに合った勉強方法があるに違いないとお考えなのだろう.それに,この話題に対する私の応対によって,その保護者の私に対する評価が決まってくる.三者懇談は教師としての私が試される場でもある.
 そこで,冒頭の言葉が出ることになる.勉強はいつも楽しいわけではない.いやになったときに勉強を続けるには,忍耐が必要だ.いやになっても続けなければいけないのが受験勉強というもの.だから,忍耐が成績を決める.「勉強って,勉(つと)めて強(し)いると書くでしょう」と結ぶ.
 この言葉は,保護者には受けが良かった.忍耐強くなれば成績が上がることを誰も否定できないし,生徒たちの学習能力の違いや親の態度には全く触れていない.もちろん,教師の責任にも触れていない.子どもの成績が上がらないのは,ほんのちょっとだけ子どもに忍耐力が足りないせいだ.忍耐強くなりさえすれば,成績は上がるのだ.
 私は,三者懇談の時間短縮のために,この言葉を使っていたわけだが,教員のとき,少なからず本当にそう思っていた.受験勉強には忍耐が必要で,どれだけ忍耐強いかが受験の成否を握っているのだと.

「明石不登校を考える会 第6号」1999.4

勉強は忍耐か(後編)

 「勉強は忍耐」なのかどうかを議論するには,勉強とは何か,忍耐とは何かをはっきりさせる必要がある.少しかたい話になるが,社会的な変化を背景に考えてみたい.
 まず,ここでいう勉強は受験勉強のことだ.日本の高校と大学には入学試験があるから,中学を卒業したあと進学し続けようとすると受験勉強をしなければならない.そのため,中学以上の学校教育は,勉強=受験勉強という暗黙の了解のようなものが,教員,生徒,保護者の間にある.しかし,これは人間が作り出した教育制度に依存した常識であって,永久に不変なものではない.実際に18歳人口の減少が続き,大学や短大など高等教育機関では学生集めに苦労しているところが増えている.2009年には,入学志願者と入学定員の数が逆転することになり,入学試験は有名無実化していくことになる.だから,今後はこれまでのような受験勉強をしなくても大学に行けるようになる.入学試験がなくなってしまうことも起こるのではないかと思う.受験勉強が必要でなくなると,中等教育では教育とは何かを根本的に考える必要が生まれる.「勉強は忍耐だ」といって生徒に勉強をせまる無能な教師は,授業をできなくなってしまうにちがいない.
 次に,「忍耐」に対する価値観が時代とともに変わってきていることも無視できない.昔は,忍耐は美徳の一つだった.一度入った学校や職場は,たとえ自分に合わないことがわかっても我慢して卒業や退職まで勤めあげることが,人として誇れることだった.しかし,今は違う.個人が実力を付け,勤務条件の良い職場に自ら進んで転職したり,他企業からのヘッドハンティングに応じたり,ベンチャー起業家として再出発したりすることを誇りにできる.個を確立しそれを周囲に認めさせれば,自分に合わない環境にはノーといい,自分に合った環境に移るか,それを新たに作ってしまえばよいという社会的価値観が定着しつつある.昔流の忍耐は豊かな今の時代には不要のもの.学校は,まだそのことに気付いていない.
 時代は確実に変わりつつある.しかし,学校教育はそれにすぐ対応することができない.教員だった頃の私も,それを全く意識できていなかった.この先役に立たなくなる価値観に支えられた「勉強は忍耐」は,未来にはばたく子どもたちには害こそあれ無価値であった.

「明石不登校を考える会 第7号」1999.5

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おまえはゲイか!

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

「おまえはゲイか!」 私は廊下で生徒に向かってどなっていた.
「ゲイは片方だけにするんです.そんなことも知らないんですか」
彼は逆襲してきた.
 隣のクラスの担任が,授業から職員室に戻ってきて,私にこう言った.
「村田さんとこのSな,ピアスなんか付けてるで.あれ,なんとかせな」
私はすぐに教室に向かい,Sと廊下で出会った.「はずせ」「いやです」の後,冒頭の口論となった.自分で見付けたのなら,もう少し冷静に対処できたかもしれない.他の教員から指摘された(=担任のくせに気付かなかった)という負い目が,言葉に勢いを付けてしまったのだろうと,今にしてみては思う.
「就職の面接でピアスを付けるのか?」
「いいえ」
「だったら,時と場所を選べよ」
ピアスをはずさせるために,こう言うのが精一杯だった.彼は興奮を押さえながら,両方のピアスを乱暴に引き抜いた.血のにじんだ耳たぶが痛々しかった.
 今の私は,男でもピアスをしたけりゃすればいいじゃないかと思う.Sに対して愚かな「指導」をしたものだ(しかも,ゲイに対する差別意識付きだ).もし彼がピアスをしていて自分が不利だと感じれば,そのときにピアスをはずすはずなのだ.高校生になってテレビに出てくるアーチストに憧れて真似をするのは私には少し幼稚に思えるが,しかしそれも個性の一つ.他の教員から何と言われても好きにさせてやるべきだったと後悔している.
 もし,彼が年輩の教員から説教をされたら,「どうしようか.職員室では旗色が悪いんだけど」と彼と本音で相談するくらいの余裕がそのときの私にあればよかった.そうすれば,彼自身の判断で「学校でむきになって付けなくてもいいか」と言ってくれたかもしれない.それは,周囲の人の立場や気持ちを推察することで,彼が1つ成長する機会でもあったのだ.そういう機会を用意することが教育なのだと今は思う.

「明石不登校を考える会 第8号」1999.6

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たんこぶとおばあさん(前編)

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 理科教室で中学2年生の電流の実験をしているときだった.
「電圧計の針が揺れて実験できません」
 生徒の1人が報告してくれた.教卓の電源装置(注)を見ると,電圧計の針が設定した目盛から頻繁に目盛0(ゼロ)の方に大きく振れ,と同時に電流計の針も右に振れている.これでは正常な実験ができないし,もし電源装置の故障ならすぐに装置をとめなければ危険だ.
「回路をもう一度確認して!誰か間違ってないか?」
 何度か大声で呼びかけた.それでも針の振れは止まらない.私は急いで実験机を1つずつ巡視し始めた.すると,ある生徒が近づいてきて1人の生徒Oを指差した.Oは後ろの方の実験机に1人で小さく座り,何かを抱え込むようにして黙々とやっている.彼の目の前で,ぱっと火花が散った.私は自分の目を疑った.Oは実験机の電源端子に2本の導線を差し込み,故意にショートさせて火花が散るのを楽しんでいたのだ.これでは,大型の電源装置も壊れてしまう.
 私は足早にOに近づくと,上から下へ押さえつけるようにOの頭をたたいた.軽くたたいたつもりだったし,私が近づいてきたこともたたかれそうなこともOは気付いていると思っていたので,彼の頭の動きには驚いた.
「ゴン」
 彼の頭は力なく落下し,額が実験机に強くぶつかった.Oが周囲に見えないようにかがむような姿勢をしていたことが災いしたのだ.そのあと彼に何を言ったのか,あるいは言わなかったのか覚えていない.電源装置は正常に戻って授業を続けることができたが,Oの額には「たんこぶ」ができていた.
(注)この理科教室では教卓の下に大型の電源装置が設置されており,これで100V交流電源を直流に整流して,すべての実験机に同じ電圧で供給できるようになっていた.電池切れを心配する必要がなく教員が電圧の値を適切に変えることができるという利点があるが,ここでの話のように1人の悪さが他のすべての者に影響してしまう.生徒の誰かが誤ってショート回路を作ってしまった場合ブレーカーが落ちるはずだが,Oは2本の導線をこするようにして火花を散らしていたのでブレーカーが落ちるには至らなかったようだ.

「明石不登校を考える会 第9号」1999.7

たんこぶとおばあさん(後編)

 たたくことは絶対にいけない.それは充分承知していた.だが,私がいた男子校で「正常な」授業を維持するには,教師に「強さ」が要求されていた.「正常な」とは,生徒たちが静かに座って授業を受けている状態で,これがなかなか難しかった.教師は強いリーダーシップと逆らえない雰囲気をもっている必要があった.
 放課後,Oのおばあさんから電話がかかってきた.Oの両親は共稼ぎで,Oはおばあちゃんっ子だった.電話の内容は,私が手を出したことへの抗議というより,Oはすごくいい子だというPRだった.具体的な話の内容は覚えていないが,「先生が手を出されるほど,Oの身が危険だったのでしょう」と念を押されたのを覚えている. おばあさんは,周囲の者に迷惑をかけることや,高額な設備を破損することには気がついてはおられなかった.しかし,逆に私は,Oの身の危険については全く考えが及んでいなかった.
 Oの行為は確かに理科の常識を逸脱した悪さだった.しかし,私がすべきだったことは,それを発見しOに制裁を加えることではなかった.電源装置の異常に気付いたとき,まず私がすべきことは電源装置を止め,授業を中断することだった.そうすることによって,悪さの張本人が誰なのかはわからないままになるかもしれないが,本人は自分の悪さのために授業ができなくなったことには気付くに違いない.そのときの若い私には,そう考えて授業を中止する余裕が全くなかった.
 今の私は,学校の「正常」は子どもにとって不自然な状態だと思っている.不自然な状態を維持するために教師が「強さ」をもつ必要があると考えるのは大間違いだ.そのときの私は,学校の「正常」の中に埋もれ,こういったことに全く気付いていなかった.

「明石不登校を考える会 第10号」1999.8

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内職(前編)

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

「君は自分だけなら構わないと思ったのだろうけど,それ(内職)が許されたらどうなると思う?」
「・・・」
「君が内職をしていいのなら,みんなしていいわけでしょ.みんなが内職したら授業はどうなると思う?」
「・・・」
「理科の授業じゃなくなるでしょ」
これは,内職(授業中に他教科の勉強をすること)していた生徒に対して私がしていた説教である.まわりくどい説教をしていたものだと思う.
 内職を見つけたら,使っていた本やノートを問答無用に没収していた.あらかじめ没収すると言ってあったので,たいていの生徒は覚悟をしていた.教科書やノートは授業後に謝りに来たら返すようにしていたが,漫画本や雑誌,小さなおもちゃなどはたいてい取りに来なかった(こういうのは内職ではなく,ただの遊びなのだが).よくある「泣き付いてくる」パターンは,その日の他教科の宿題をやっていなくて,友達のノートを私の授業中で丸写しにしている場合だった.内職も問題だが,宿題丸写しも大問題である.このような内職を断つために,没収したものはその日の放課後までは返さないと宣言した.すると,丸写しをしていた生徒は比較的簡単にあきらめるのだが,ノートを貸していた生徒が宿題を提出できなくなると言って泣きついてきたりした.不正融資のように貸し手責任を指摘して,放課後まで返さなかったこともある.いじわるな「指導」をしたものだ.

「明石不登校を考える会 第11号」1999.9

内職(後編)

 内職が流行すると,授業が成り立たなくなる(=教師失格).そこで,生徒らの様子に注意を払い,机間巡視(生徒の机の間を歩きながら生徒の様子を見て回ること)を頻繁におこなうようにした.すると,生徒の挙動にばかり目がいって,授業の流れが悪くなる.私が授業に集中できなくなるのだ.うまく説明し板書しようとするとかなり集中する必要があって,なかなか生徒一人一人のしぐさにまでは目がいかないものだ.教師には,生徒の挙動を冷静に監視しながら授業を進めるという熟練技が要求される.
 学校教育では時間割が決まっている.教師も生徒もそれに従わなければならない.時間割を絶対視するために,内職は悪いことだということになる.生徒の中には時間割にしばられて窮屈な思いをしていた者もいたことだろう.
 今の私は,初めから決めておく時間割はなければならないのだろうかと思う.授業を自由に選択して各生徒が自分だけの時間割を作る方法だってあるし,時間割を全くなくして各生徒が自分の興味関心ややる気に応じて学習する方法だってある.フレックスタイム制にすると「遅刻」がなくなるように,時間割をなくしてしまうと「内職」はなくなってしまう.企業ではフレックスタイム制が導入され,年俸制を試みるところもある.学校でももっと多様な学習スタイルを受け入れて良いはずだ.もっとも,40人学級の今の学校教育では望むべくもないことだが...
 余談だが,ある卒業生と久しぶりに会って喫茶店で話をしたとき,「先生の授業は内職しやすかったよ」と言われて驚いた.教員のときにあれだけ内職防止に苦労したはずなのに,なんということか.落胆すると同時に,生徒たちはしたたかでたくましかったのだと感心した.

「明石不登校を考える会 第12号」1999.10

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一度っきりの対話のチャンス

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 その年,私は中学1年生の担任だった.入学式を終えたばかりのクラスの生徒たちはかわいらしく元気いっぱいだった.その中に,入学式の日だけ登校したあと学校に出てこられない生徒がいた.その子は,初めて親元から離れて寮に入ったが馴染めず,学校の近くに住む祖父母の家に帰ってしまった.そこで祖父母の家から通うことになったのだが,彼は1日だけ登校した次の日,学校には来ずに両親の家に帰ってしまった.誰にも言わずに新幹線に乗ってしまったので,一時は行方がわからず大騒ぎになった.彼はその後地元の中学校に転校し,二度と私のクラスには戻ってこなかった.
 今でも,ホームシックが高じての行動で仕方のなかったことだと考えている.寮を出て祖父母宅から通学することになったとき,学校を続けて休んだとき,行方不明になったときに,私は彼の両親やおばあさんと何度も話をした.しかし本人とは話をしていなかった. 今から振り返ると,彼と話をするチャンスは一度だけあった.それは祖父母宅から通学したたった1日だけの放課後だった.
 終礼のあと彼に声をかけ,指導相談室に入って話をすることにした.他の生徒に見られないように配慮して,2人だけになる部屋を選んだのである.話といっても,彼から何かを言い出すということはなく,こちらが質問するとき以外は私が一方的にしゃべっていたと思う.今思えばそれは当然のことで,指導相談室という密室で「悩みは何?さびしいの?」とかきかれても,すぐに心を開くことはできないはずだ.今の私なら,グランドに面した芝生の斜面に腰掛けて,傾いた太陽を背に青い空に流れる雲を見ながら,世間話や私の思い出話(さびしい思いをしたエピソードなど)をゆっくり話したいと思う.そうすれば,彼の決断の参考になったかもしれないし,良い思い出として残ったかもしれない.
 私は彼を引き留められなかったことを後悔しているのではない.彼にとってどちらの学校が向いていたかは彼にしかわからないことだから.そうではなくて,私は彼との一度っきりの対話のチャンスを,指導相談室でつぶしてしまったことを心から後悔している.

「明石不登校を考える会 第13号」1999.11

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暴走教室

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

「わあああ」「きゃああ」「どどどど」
 教室が湧いていた.歓声をあげる者,悲鳴のような奇声を発する者,ただ笑っている者.なかには,床を踏み鳴らす者までいた.
 教師1年目のある授業での出来事である.私は大学を出たばかりのお兄ちゃん先生だった.授業の合間に雑談を始めて脱線してしまうこともあったが,生徒たちは結構それを期待していた.私の話やアクションを面白がっているうちは良いのだが,声を出して面白がっているうちに騒ぐこと自体を面白がり始めてしまった.騒ぐために騒ぐ,教室が暴走し始めた.
 騒ぎは数〜十数秒で収まるのだが,生徒たちは次の騒ぎのタイミングを待っている.私の顔が少しゆるんだり生徒の誰かがギャグを飛ばしたりすると,また騒ぎが始まる.これはいけないと思ったときだった.隣で授業をしていた年輩の先生が大声で怒鳴り込んで来られた.一瞬で教室は静まり返り,重苦しい空気で一杯になった.私は教師としての未熟さが恥ずかしくてたまらなかった.
 この一件で,静かな教室であることが授業の第一条件だということを思い知った.生徒たちがリラックスして声を出したら,生徒たちに真顔で対峙し大声で一喝するようになった.それは学校において,他の授業に迷惑をかけない最低のマナーであり,教師がもつべき最低の指導力である.
 今にして思えば,生徒たちは教師である私を困らせようとして騒いでいたわけではなかった.ただ面白がっていたのだ.生徒たちを静かに座らせて講義をする古典的な授業とはかけ離れているが,見方を変えるとこれはとても楽しい状況だ.教室にいる生徒たちがまるで一つの生き物のように,教室で次におこることを体で感じて声を出して喜んでいた.サッカースタジアムでおこるウェーブのようなエネルギーをもっていた.
 普通教室ではなく,音楽教室に場所を変えて騒いでみたら面白かったかもしれない.あるいは,放課後グラウンドで騒いでみたら面白かったかもしれない.今の私ならそんなことを考えるが,当時の若い私にそんな余裕はなく,先輩教師の真似をしながら生徒を静かに座らせて講義する古典的な教師に向かっていってしまった.

「明石不登校を考える会 第14号」1999.11

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ゲーセン巡回

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

「学校の帰りに,絶対ゲームセンターに寄ったりしないように!」
終礼で私は大声で生徒たちに注意していた.
 学校には校務分掌というものがあって,教師は授業やクラス担任の他に学校での仕事を分担している.私は生徒指導部に属していた.その日は,下校時の生活指導として,生徒指導部の教師全員がゲームセンターの巡回をすることになっていた.それに先立って,各クラスで担任が生徒たちにゲーセンに行かないよう注意をすることになっていた.
 冒頭の注意を2,3度繰り返した後,「なんで今日こんなことを言うかわかるよな」とニッコリ笑ってみせた.これだけ親切な注意をしておけば,自分のクラスの生徒をゲーセン巡回で見つけることは有り得ないことだった.
 しかし,この期待は見事に打ち砕かれた.私が巡回した範囲で2人の生徒をゲーセンで見つけたが,なんと2人とも私が担当している学年で,1人は私のクラスの生徒だった.結局,その生徒と保護者とともに校長訓戒を聞くはめになってしまった.ゲーセン巡回は教師2人1組でおこなっていたので,彼を見逃すことはできなかった.しかし,ゲーセン通いが常習化して問題行動をおこすような生徒ではなかったので,校長訓戒などは全く無用のものだった.後でその生徒に聞くと,冒頭の熱のこもった私の注意は耳に入ってなかったそうだ.
 私はその当時もゲーセン通い自体が問題行動だとは思っていなかった.ゲームに対する自制心こそが大切なのであって,ゲーセンを自制心を育てる教育の場とすることさえできるのではないかと今は思っている.今の私はたまにゲーセンに入って,娘が好きそうなぬいぐるみを見つけるとゲットしてくる.節度ある有料の遊びは大人にも子どもにも必要だと思う.しかし,当時の若い私は,学校という組織の中で学校の常識に従うことしかできなかった.ゲーセンで中高生の姿を見つけると,ふとあのゲーセン巡回を思い出してしまう.

「明石不登校を考える会 第15号」2000.1

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授業崩壊(前編)

村田育也(神戸大学院(院生)/兵庫県立福祉のまちづくり工学研究所兼務)

 学級崩壊という言葉がメジャーになる前のことだ.私にも,こんな授業崩壊の経験がある.
 私は理科を教えていたので,担任していた学年以外の学年(他学年)にも教えに行っていた.そのクラスは他学年で,問題児Tがいた.Tは,授業中にお喋りをし,立ち歩き,教師に向かって野次を飛ばした.私が睨み付けると,おどけてみせた.彼の方へ向かって歩くと,教室の端から端へと逃げて回った.その頃の私は,古典的な教師の道を進み,かなり定着した型をもち始めていた.だから,この悪ふざけを許すわけにはいかず,毎時間Tと戦っていた.
 後でわかったことだが,Tは私が生徒会の顧問をしていたことが気に入らなかったようだ.生徒会は顧問の言いなりで,顧問は生徒会を通じて生徒を管理している.Tにはそんなふうに見えていたらしかった.
 Tの行動を止められないことが他の生徒にわかってしまうと,同じように行動し始める生徒が現れた.そうすると,何人もの相手をしながら授業をしなければならなくなり,当然そのクラスの授業の進度は遅れた.初めのうちは私に同情的だった真面目な生徒たちも,まともに授業が進められない教師に愛想を尽かすようになった.
 もうこうなると,授業計画なんて何の役にも立たず,楽しい授業をするなんていう余裕は全くなくなっていた.ただ少しでも静かにさせ,秩序をもたせるために全力を出していた.だから,そのクラスの授業の後はへとへとに疲れてしまい,そのクラスに行くのがもの凄く苦痛だった.

「明石不登校を考える会 第16号」2000.2

授業崩壊(後編)

 そのときの私は,古典的な教師がそうであるように,授業崩壊の原因はそのクラス,生徒たち,そしてTにあると考えていた.これまでの教師経験ではなかったことだし,他のクラスでは「まともに」授業ができていたことがその証拠だと思っていた.このとき,私は2つの罠にはまっていたと思う.1つは,北風の罠.もう一つは,秩序の罠.
 子どもに無理矢理何かをさせようとすればするほど,逆に子どもがそれを拒み続ける悪循環に陥ることがある.これを北風の罠と呼ぼう.反抗している子どもを黙らせようとして大声で叱っても反抗を続ける.男のコートを脱がせようと北風が吹けば吹くほど,男はコートをなおさら深く着込むのと同じだ.北風の罠から逃れるには,教師が太陽流の接し方を心掛けるしかない.
 人は意外性を面白いと感じる.秩序に意外性はない.つまり面白くない.教師が授業をおこなうために秩序が第一と考えた途端,授業は面白くなくなってしまう.すると,子どもは授業が苦痛になり,集中できなくなって騒ぐ.すると,教師は秩序を取戻そうとして...この悪循環を秩序の罠と呼ぼう.秩序の罠から逃れるには,教師が意外性を見せるしかない.生徒がおどけてみせたら,教師はそれ以上におどけてみせるとか,大笑いをしてみせるとかすれば面白い.
 新聞などで学級崩壊の記事を読むと,たいていの教師は私と同じ罠にはまっていると思う.教師がこの罠にはまってしまうと,自分自身が疲弊してしまうだけでなく,子どもにとっても無意味で苦痛な授業時間の繰り返しになってしまう.そして,学級崩壊の原因はクラスや生徒だと思うことで,教師は自分が罠にはまっていることに気付かなくなる.こうなると,学級崩壊は止まらない.

「明石不登校を考える会 第17号」2000.3

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続・授業崩壊

「がしゃーん」
ガラスの割れる音が教室と廊下にひびいた.
 その日そのクラスに,Tはいなかった.Tは私以外の教師にも反抗し勉強を拒否し,学校を休みがちになっていた.Tさえいなければ「まともな」授業ができる.Tにてこずっていた私はそう思っていたが,現実はそうならなかった.型にはまった対応しかせずTの行動を止められなかった私を,他の生徒は忘れてはくれなかった.Tがいなくなると,第2のTを演ずる者が出てきたのだ.彼はTのように教室中を逃げ回ったりはしなかったが,おしゃべりをしたり教科書を出さなかったり,それらを注意すると悪態をついて反抗したりした.
 そのとき,彼と強い口調で押し問答をした後,打つ手のなくなった私は「廊下に出ろ!」とどなった.廊下に出ようとした彼を見て,私は教卓に戻りかけた.そのときだった.教室の後ろからガラスの割れる大きな音がひびいたのは.彼が故意にガラスを割ったのかと私は直感的に思ったが,そうではなかった.腹立ち紛れに教室の扉を思いっきり強く締めたためガラスが割れたのだった.
 北風の罠と秩序の罠にはまっていた私は,第2のTを生むまいとして同じ罠にさらに深くはまりこんでしまった.だから,生徒は固く心を閉ざし反抗を続けたのだ.申し訳ないことをしたと思う.

「明石不登校を考える会 第19号」2000.5

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掃除監督

 バーン!「掃除をしろー」
 ご存知の通り,学校では放課後各教室を生徒が掃除をする.私がいた学校では,1つのクラスに原則として主と副の2人の担任がいた.主担任は自分のクラスの教室で掃除の監督をし,副担任は別の場所で監督することになっていた.教員になって1年目の私は副担任だったので,理科教室の掃除監督をしていた.理科教室を掃除する生徒は,私が担任していた学年とは違っており,あまり顔を合わさない生徒たちだった.
 ある日,掃除当番の生徒らがばらばらと教室に入ってきて,ほうきをもったまま教室の後ろにたむろしておしゃべりを始めた.私は彼らには何も言わずに,ほうきをもって前の方からゴミを掃き始めた.たいていの生徒は先生が掃除を始めたら,掃除を始めるものだ.しかし,彼らは一向に手を動かさず,口だけ動かしている.私が1人だけで教室の半分くらいを掃いていても,彼らは話に夢中で,時に大きな声で笑ったりしていた.
 その様子を見て,私は切れてしまった.私は彼らに近づき,手に持っていたほうきを実験机にたたきつけて怒鳴った.それが冒頭の音とセリフである.すると,彼らは「しゃーないなあ」という態度で,教室のあちこちに移動して掃除を始めた.
 その後気が付いたことだが,ある実験机の表面が少し割れてへこんでいた.それは私がほうきで机を叩いたときにできた傷に違いなかった.ああ,しまった.そのとき,感情的に物にあたったことを後悔した.
 しかし,今はそれに加えて,生徒たちをいきなり怒鳴りつけたことを後悔している.私が率先して掃除を始めるとき,掃除をしながら彼らに近づいたとき,声をかけ続けるべきだった.それでも彼らが掃除をしなかったら,私1人で掃除をして「掃除は終わったから,帰っていいよ」と言えば良かった.

「明石不登校を考える会 第20号」2000.6

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愛のむち(前編)

 私が教員1年生のときのエピソードである.
 放課後,屋外の掃除監督を終えて校舎に戻ろうとしたとき,校舎の玄関に座り込んでいる他校の中学生2人を見つけた.ただならぬ気配を感じた私は,その2人に近づいて何かあったのかと尋ねた.すると,下校途中にこの学校沿いの道を通っているときに,校舎のベランダから自分たちに向かって「○○中のアホー」と怒鳴った生徒がいたそうで,その生徒を校舎の玄関で待っているのだと答えてくれた.この場をうまく収めねば,中学校間のけんかになる.私は青ざめた.
 教室の場所を聞けば私が副担任をしている学年のクラスだ.自分が責任をもって「アホー」と怒鳴った者を連れてきて謝らせるので,そこで待ってくれるように2人に頼んで,教室に急いだ.
 教室には10人くらいの生徒がまだ残っていた.彼らに事情を聞くと,「アホー」と怒鳴ったのはYだとわかった.しかし,そこにYはいなかった.
 私は,待たせている2人がけんかを始めるのではないかと心配だった.教室に残っていた10人程の生徒に事情を説明し,玄関で待っている○○中の生徒2人に自分と一緒に謝ってくれないかと頼んだ.すると,ほとんどの生徒がこれに応じてくれて,玄関まで来てくれた.  玄関で待っていた2人に,「アホー」と怒鳴った者が誰かはわかったが,彼が今どこにいるかはわからないことを伝えた.私と同じクラスのこの生徒たちが代わりに謝るから許してくれと,2人に頭を下げた.2人はわかったと言って帰ってくれた.
 

「明石不登校を考える会 第21号」2000.7

愛のむち(中編)

 そのすぐ後,学年主任をしているM先生が来た.60歳を過ぎたやさしい目のM先生は,私や生徒たちから事情を丁寧に聞いた.その頃になると,事件を聞きつけた生徒たちが次第に集まって20〜30人くらいいた.そうしているうちに教室のベランダから「アホー」と怒鳴ったYが走ってやってきた.
 Yはすでに級友から事情をほとんど聞いていたのだろう.生徒たちやM先生から簡単な説明を聞いてすべて理解したようだった.M先生がYに「言ったのか」と尋ねると,Yは「はい」と答えた.するとM先生はまず,「よく来た.よく言いに来た」とYを誉めた.
「でも,村田先生や友達に迷惑をかけた」
「はい」
「いいか.いいか」
「はい」
 M先生は少し腰を落とし,右手を伸ばして身構えた.私はすでに事件は終わったと思っていたので,これから何が起こるかわからなかった.しかし,Yにはわかっていた.
「パーン!」
M先生の右の掌がYの左の頬をはった.それは,普段のやさしいM先生からは全く想像できないことだった.
 その後も,M先生はYを何度も誉めていた.Yは友達と私に謝り,M先生は生徒たちを誉めた.やさしさと信頼が満ちていて,私は目頭が熱くなった.
「先生,すばらしいですねえ」
感動をどう表現していいのかわからず,こんな言葉になった.
 M先生は「どうして」と笑顔で答えると,「よくあんな収め方ができましたね」と教師1年生の私を誉めた.
 

「明石不登校を考える会 第22号」2000.8

愛のむち(後編)

 Y自身を含めて周囲で見ていた者たちは,誰一人としてM先生の平手打ちを暴力だとは思わなかったはずだ.では,なぜ暴力に見えなかったのか.理由は2つあると思う.1つは,M先生が怒りの感情を全く持っていなかったこと.後でどんな理由をつけても,怒りの感情をもって手を上げれば,それは暴力だといわれてもしかたがない.しかし,M先生にはYに対する怒りの感情は全くなく,逆にYに対する信頼とやさしさがあった.もう1つは,Yがそれを納得していたこと.M先生がどんなにYのことを思いやった結果手を上げたとしても,Yがそれを納得していなかったらYにとっては暴力であっただろう.しかし,Yはそれを承知しており,むしろ望んでいたように思う.
 さらに,この平手打ちは暴力でないだけでなく,権威的なお仕置きでもなく,体育会系のような上下関係の象徴でもなかった.教師と生徒,生徒同士の信頼関係をより強くする平手打ちだった.
 「愛のむち」は暴力をふるう教師の詭弁である.これは限りなく100%正しい.しかし,「愛のむち」は存在する.M先生の平手打ちは,「愛のむち」という言葉以外には思いつかないからだ.
 私は,幸運にも教師1年生のときに「愛のむち」を見た.幸運というのは,非常に珍しい場面に出会えたという意味である.このとき以外に,私は「愛のむち」といえる行為を見たことがない.しかし,逆に不幸だったのかもしれない.「愛のむち」が簡単に誰にでもできるように勘違いをしてしまったから.
 これまでのざんげ話の中に書いたが,私は何度か生徒に手を上げてしまった.もちろん,教育者として力に頼るのは絶対にいけない.そのことはわかってはいても,生徒に手を出してしまった.そこには,「愛のむち」の妄想があったに違いなかった.

「明石不登校を考える会 第23号」2000.9

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